2012年06月30日

0630:さすらいエマノン 梶尾真治×鶴田謙二

6/30 天気/曇り 気温/ちょっと蒸しています。西から雨雲が迫っている。

本の整理をしていて、ふと鶴田謙二のその後の執筆活動状況が気になって、ネットで検索してみた。
エレキテ島は予想通り、本が出版されて以降、続話は書かれていないようだ。
予想に反して、なんと、エマノンの続刊が4月に出ている事を知った。
へぇ〜意外な所で仕事してたんだ。
とは言っても、「おもいでエマノン」2008年出版から4年も経過している。
床屋に行くついでに続刊となる「さすらいエマノン」を買って来た。
sasuraiemanon
新刊:さすらいエマノン 2012年4月
noname
旧刊:おもいでエマノン 2008年7月
今回はカラー頁が70ページもある豪華な装丁となっている。
相変わらず、鶴田謙二の描く世界観は独特な物を感じる。
昔は確かにそこらに会った景色で、見覚えがある。
しかし、今改めて見まわしてみるとそんな場所は、もうどこにも残っていない。
そんなノスタルジーを感じてしまう。
ちょうど、古い物が新しい物に置き換わって行き始める昭和30年代の感覚。

丁寧に書きこまれた絵、というか精緻なイラストが連なって漫画を形成している。
という表現の方が正確かな。
なぜなら、鶴田謙二の漫画には、擬音表現が一切ない。
絵とセリフだけ。
水音も、木々のざわめきも小鳥のさえずりも、絵から感じ取るだけだ。
土の中に埋めておいたものを探しているシーンで、
スコップの先が固い物に当たった時も表現も、「あっ」と思える表情一つ。
その中に、読み手がコツンという音を感じ取るだけだ。
鶴田謙二の漫画が小説のように読めるのは、
普通とは異なったこの表現によるものだろうと思う。

さて、30億年の地球の記憶を受け継ぐエマノンは、相変わらず彷徨っている。
いや、時間という流れの中を漂っているのかもしれない。
途切れない記憶。失われない記憶。
うれしい事も悲しい事も全て記憶し続ける運命は過酷だ。

彷徨うってなんだろう。

僕らは、若いころはつらい事を思い返し、前に進む糧とする。
しかし歳を取ると、嬉しかった事や楽しかった記憶ばかりがよみがえり、
つらかった事や悲しかった事は、記憶の奥底に仕舞われて、なかなか表に出てこなくなる。
そうやって、動かなくなった身体が欲する感情を補っているように思える。
人間の優れた能力の一つに数えられるのが、この忘れるという機能であると聞いた事がある。
そうしないと、精神が記憶に押しつぶされかねないらしい。
30億年の記憶の中で、わずか60年程度の記憶は、刹那な出来事でしかない。
だから、エマノンは何かをすることなく過ごす事が出来るのかもしれない。

彼女の彷徨いは、何かを求めて彷徨うのとは違っている。
あてもなく彷徨うというのは、実は難しいのではないかと思う。
何かを考えていると、彷徨えないのではないか?
考えない、あるがままを受け入れる精神でなければ、
ひたすらに彷徨う事は出来そうにない。

この刊では、なんと未来人とも思える人物が登場する、
さらに、双子の兄も登場してくる。
原作の一部分を拾い上げての漫画化のようです。
原作は1970年代の物。
今から原作を読むか?
いや、僕がこの手の小説を素直に読める時期は既に過ぎ去っている。
中学・高校で読んでおけば良かった。
そうすれば、その時の記憶がそのままよみがえるはずだが、
この歳になって原作を読むのは確認作業でしかない。
きっと感じ取るものがまったく異なるはずだ。

本は若いうちに沢山読めるだけ読んでおくべきだと改めて思った。